ぼくのパパス、
わたしのノンノン。

Vol.23
パパスとnakamura
ふつうのようで
ふつうじゃない
服と靴の話

東京都足立区に工房兼ショップを構え、年齢や性別を超えた人気を集めるオーダー靴ブランド「nakamura」。その優しいフォルムとパパスの服はなんだか相性がいいなあ、と思っていたところに驚きの情報が。なんとこのブランドを主宰する中村隆司さんは大のファッション好きで、しかもパパスの創業デザイナーの大ファンだったとか! そのいきさつから服と靴との関係まで、じっくり伺ってきました。

  • # パパス
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パパスのデザイナーを出待ちした青春時代!

1998年から、奥様の民さんとともにオーダーシューズブランド「nakamura」を営む中村隆司さん。2011年には工房を観光地である谷中から足立区江北に移転。飽きのこないシンプルなデザインと履き心地は、日本中のファンから支持されています。

中村隆司 今日は取材ということで、ぼくがパパスと出会った時代の雑誌やその切り抜きをいっぱい持ってきたんですよ。

――うわあ、すごい! 1980年代の『POPEYE』や『BRUTUS』、『Tarzan』、そして週刊文春まで・・・どれもお宝ばかりですね。

中村 高校時代に『MEN’S CLUB』に出会って以来、頭の中でいつもぐるぐる洋服のことがまわっているような青春時代でした。ハンサムじゃないから周りにはファッションが好きなんて言えなかったし、お小遣いもないからいつも立ち読みばかりだったんですが。

――とても大切なコレクションなんですね。ありがとうございます!

中村 「ロバート・ロウリー」の登山靴をコレクションされていた吉田克幸(現ポータークラシック)さん、「ハリウッド・ランチマーケット」を創業されたゲン垂水さん、「スポーツトレイン」の油井昌由樹さん・・・いいですよね(笑)。当時は『POPEYE』でもヘミングウェイの特集がつくられたり、三國連太郎さんがなんてことのない505のジーンズに「リーボック」のフィットネスシューズを合わせたりしてて、こういうのもカッコいいな〜なんて思ってました。そんな頃にパパスが始まったんですよ。

中村さんが大切に保存している、1980年代前半の『POPEYE』の切り抜き。「ポータークラシック」の吉田克幸さん、「ラブラドールレトリバー」の中曽根信一さん、「ハリウッドランチマーケット」のゲン垂水さん、「スポーツトレイン」の油井昌由樹さんといった超大物がコレクションを披露する、垂涎モノの特集です!

1980年代、男性誌が掲げるファッションアイコンの代表格といえば、なんといってもアーネスト・ヘミングウェイでした。

パパスのイメージキャラクターを長年務めてくれた三國連太郎さんや、今もなおグラフィックデザインを手掛ける塚野丞次さんの切り抜きも! 中村さん、相当なマニアです(笑)。

――創業時からパパスのグラフィックデザインを務めている塚野丞次さんまで! 皆さんとても渋いですが、まだ学生だった中村さんの視界に入るような存在だったんですか?

中村 一般的ではなかったと思います。ぼくは着慣れてる感じの人がカッコよく思えたんですよねえ・・・。でも実際、当時のぼくが着るとパパスは似合わなくて(笑)。当然高かったし、セールの初日に駆け込んで一生懸命買っても、こういう方々のような迫力が全然出ないから、しばらく離れてはいたんですけど。

――でも今日もパパスのシャツを着ていただいていますが、とてもお似合いですよ!

今日の取材のために中村さんが持ってきてくれたパパスのワードローブ。今もつくっているようなものばかりだから、全く古さを感じさせません!

中村 おじさんになったから着やすくなったんですかね(笑)。実はぼく、パパスの創業デザイナーだった荒牧太郎さんの追っかけだったんですよ。

――追っかけですか?

中村 東京に出てきたばかりの頃なんですが、どうしても会いたい!と思って港区海岸にあった会社の前で出待ちして。本当に気持ち悪いんですけど(苦笑)、雑誌の切り抜きにサインをしてもらいました。

パパスの創業デザイナーである荒牧太郎氏。1964年に原宿でマドモアゼルノンノンを創業した、日本の戦後ファッションシーンを牽引した人物のひとりです。

――それは筋金入りですね(笑)。

中村 そのときぼくは桑沢デザイン研究所に通っていたんですが、勢いで「アルバイトさせてください!」ってお願いしちゃったんですよ。そしたら「俺わかんないからさ、ここに電話してよ」って、会社の電話番号を書いてくれました。ものすごいオーラを放っていましたが、優しい方でしたよ。

――サインのみならず電話番号のメモ書きまで(笑)、こんなきれいに保管していただいていることが嬉しいです!

中村 本当に好きだったんです。

――最初にパパスを知ったのは何がきっかけだったんですか?

中村 やっぱり、一番最初に広告を出した『Tarzan』ですね。三國連太郎さんが着ていらして。あの頃のぼくは洋服のデザインを学びたいと思っていたけれど、当時のDCブランドでピンとくるものがなくて、どうやってデザイナーになればいいのかという道がぜんぜん見えなかった。そんなときに荒牧さんの記事を読んで、こういう〝ふつう〟な感じでもデザイナーってできるんだ!って思ったんです。でも、結局は靴屋になってるんですけどね(笑)。

――DCブランド全盛期の1986年にあえて〝ふつうの服〟を提唱したのがパパスでした。

中村 ファッションもライフスタイルも、今までとは全く違うスタイルを提唱されていましたね。着こなしもすごく新鮮でしたよ。ポロシャツはヘンリーネックのTシャツみたいにインナーとして着る。シャツはジャケットみたいに着る。そしてジャケットは袖まくりしてシャツみたいに着る・・・。さらに襟を半分だけ出したりするアレンジは、もう最高にシビれましたよ! あとはダサいイメージのあったウエストポーチを格好よく見せたのも荒牧さんだったんじゃないかなあ。どれもこれも最高で、ものすごく強くぼくの心に刻まれています。ですから今は靴屋になっていますけど、当時のパパスのコーディネートや荒牧さんのへそ曲がりな感じは、間違いなくぼくの靴づくりの下地になっていると思います。

荒牧太郎氏と仲間たちのスタイル。ポロシャツはTシャツのように、シャツはジャケットのように、ジャケットはシャツのように・・・。私たちも気づかなかったパパスの美学を、中村さんに教えてもらいました!

中村さんに今季のコレクションから着たい服を選んでもらったら、まさに1980年代の荒牧スタイルができました! 

  • BUYシャツ¥31,900
  • BUYポロシャツ¥23,100

――なるほど! 今日パパスの新作をご着用いただく時に、このコーディネートを選ばれたのは、そういう理由があったんですか。

中村 うるさく指定してすみません(笑)。ぼくの中には明確なパパス像があるんです。

〝ふつう〟の背景に秘めたこだわり

――そうした影響が中村さんの靴づくりに反映されている点って、どんなところですか? 

中村 世間で常識とされているいいもの、いい材料、いいつくり方に縛られないことですよね。ウチは誰でも手に入るような材料を使っているし、なんら難しいこともやっていません。だからなんでウチみたいな靴屋が成り立ってるのか、不思議に思われている方も多いらしいですよ。

「nakamura」の靴はハンドメイドのオーダーシューズながら、敷居の高さをいっさい感じさせないスタイルと価格で大人気。ユニセックスで履けるのもポイントです。コロンとしたフォルムは、パパスやマドモアゼルノンノンとの相性も抜群。ぜひ合わせてみてください。

――革靴ってまさに「こうあらねばならぬ」の世界ですよね。特にそれが根強いのが製法で、世の中的にはソールとアッパーをウェルト(細革)を介して縫い付ける「グッドイヤーウェルト製法」が上等なもので、それを接着する「セメント製法」は一段低いものとされています。でも中村さんの靴は、まさにその「セメント製法」なんですよね?

中村 そこには誤解がありますよね。履き捨て用の安い靴じゃなければ、セメントだって長く履けるし、全然ソール交換できるんですよ。ぼくだってグッドイヤーは好きだけど、どうしても重くなるじゃないですか。だからぼくはできるだけ軽くしてあげたい。そのほうが当然価格も安くできますしね。だって修行先よりもあまり高くなっちゃうと、偉そうに思われるでしょ(笑)。

――中村さんはもともと植村直己さんも贔屓にしていた老舗の登山靴店「ゴロー」で修行されたんですよね?

中村 はい。靴ならもしかして自分でもデザインできるかもしれないと思って、まずはその機能を学ぶために働かせてもらいに行きました。最初はずいぶん怪しまれましたが、何度も行って無理やりねじ込んでもらったんです(笑)。結局すごくよくしてもらって5年半勤めたら、不器用なりに底付けができるようになったので、これで型紙とアッパーの縫製ができたら自分でつくれると思い、浅草の職業訓練校に通ってから独立したんです。そこで妻とも出会ってね(笑)。ぼくの世代で靴職人やるなんて言ったら、周りからは変わり者扱いされるような時代でしたよ。

――当時はまさにバブル期。「ゴロー」さんみたいな職人の世界に興味を示す若者は相当珍しかったんでしょうね。

「nakamura」の1階にある工房の様子。自社ブランドの靴づくりのみならず、他ブランドの修理も受け付けているそうです。

中村 最近じゃ同窓会に行けば羨ましがられるから不思議ですよね(笑)。当時の「ゴロー」には恐ろしいほど凄腕のベテラン職人さんがいて、誰にも習っていないのにカレンダーの裏を使って型紙を引きながら(笑)、すごいスピードと効率でものづくりをされていました。そういえば今回の取材とは関係ない話なんですが、いわゆる〝チロリアンシューズ〟ってありますよね? あれは「ゴロー」の初代だった森本五郎さんが、登山前のトレーニングシューズとして開発したオリジナルのデザインで、それに「スカルパ」や「ドロミテ」といったメーカーが追随したんです。そういうこと全然社長も言わないんですけど(笑)、〝チロリアンシューズ〟って逆輸入なんですよ!

中村さんが修行した「ゴロー」のカタログ。スタイルこそ異なれど、ものづくりの本質は共通しています。

――それは靴専門誌に載せたいくらいの新事実ですね! でも、中村さんの靴は「ゴロー」的な質実剛健さはあるけれど登山靴やウォーキングシューズではないし、かといって英国やイタリアの紳士靴とも違うし、無国籍的というか、本当に独特ですよね。

中村 そうですね。登山靴は「ゴロー」が最高だから、登山靴ではない靴をつくるつもりで独立しました。なんというか、ぼくは色々好きなんですよ(笑)。さっき言ったロバート・ロウリーも好きだし、パパスの荒牧さんがピンクのソックスと合わせて履かれていた華奢なイタリア靴も好きだし、学生時代に映画『炎のランナー』で見た、20世紀初期のトレーニングシューズも好きだし。でも一貫しているのは、質素というか、豪華じゃない靴ですね。

――シンプルだけど、そこにはいろんなファッションの要素が含まれているんですね。

中村 実はそのつもりなんですけど、あまり声高に言わないようにしています。全然ファッションに興味のないふつうのおじさんおばさんや、足が痛くて合う靴がない人に履いていただけるのが嬉しいし、そういうお店でありたいんです。

ことさらに謳わずとも、中村さんが靴をつくるときは〝こんなスタイルに似合うだろうな〟という明確なイメージがあるそうです。ぜひショップで聞いてみてください。

――中村さんは聞けば聞くほど異端ですね。

中村民(奥様) 異端です(笑)。

中村 でも異端じゃないみたいな顔してやりたいんですよ(笑)!

――そのへそ曲がり加減は、まさにパパスと重なるかもしれませんね(笑)!

中村さんの公私におけるパートナー、中村民さんと。民さんもパパスのチェックシャツにウエストポーチを合わせた〝荒牧スタイル〟です!

nakamura

住所/東京都足立区江北4-5-4
TEL03-3898-1581
営業時間/10:00〜18:00
定休日:水・木曜日(祝日は営業)