Vol. 6
スタイリスト
北村勝彦さんが語る!
三國連太郎さんの秘話と
『PAPAS BOOK』の
スタイリング哲学
パパスが、アーネスト・ヘミングウェイとともに、創業時から理想の男性像として掲げていたのが、日本を代表する俳優の三國連太郎さん。三國さんは長きにわたってパパスのモデルを務めるとともに、プライベートでもその服を愛用してくれました。2023年は、そんなパパスにとって大切な存在である三國さんが、生誕100年を数える特別な年。そこで私たちはこの秋、まるごと一冊三國さんを偲ぶための『PAPAS BOOK』をつくりました。その目玉となる企画が、俳優の佐藤浩市さんが、お父様が愛したパパスの洋服を着こなすという、スペシャルなファッションシューティングです。今回は、本企画を担当してくれた大御所スタイリストの北村勝彦さんに、『PAPAS BOOK』の制作秘話を伺ってきました!
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パパスが生まれた〝洗いざらしの時代〟
――北村さん、『PAPAS BOOK』のスタイリングをしていただき、本当にありがとうございました。早速大反響ですよ!
北村 そうですか。それならよかった。
――北村さんは、そもそもパパスとの接点はあったんでしょうか?
北村 いや、実は仕事ではほとんどありませんでした。1980年代に、雑誌のタイアップの仕事で、ちょっとだけ絡んだ程度かな。
――それは意外ですね。パパスの存在は、北村さんの目にはどんな風に映っていたのでしょうか?
北村 パパスが生まれた時代(1986年)って、第二期の〝洗いざらしシャツ〟のブームだったと思うんだよね。第一期はコム・デ・ギャルソン。もしかしたら、まだ創業(1969年)前だったかもしれない。あの頃デザイナーの川久保玲さんは、表参道の伊藤病院近くにあったうなぎの寝床みたいな集合店舗で、洗いざらしにしたブロードのシャツなんかを、ひとりで販売していたんだよね。その次が創業した頃のパパスで、ブロードに限らず、巧みに洗いざらしたシャツをたくさんつくっていた。でも、ぼくはそこからアメリカの匂いはさほど感じなかった。どちらかというとフレンチ・・・というか、フレンチアイビーのテイストだったのかな。アイテム数も多くて、創業者の思いが詰まった圧巻のコレクションだったね。
――パパス=フレンチアイビー!これは新鮮な説ですね。
北村 同じボタンダウンシャツでも、アンソニー・パーキンスとかポール・ニューマンみたいな感じじゃなくて、ジャン=ルイ・トランティニャンが着こなすような感じかな。パパスの前身となったマドモアゼルノンノンも極めてフランス的なスピリットのブランドだったし。まあ、これはあくまで、ぼくなりの受け止め方だけどね。
北村さんだけが知る三國連太郎さんの秘話
――いや、さすがの解釈だと思います! そして記念すべきパパスとの初めてのコラボレートは、三國連太郎さんのご子息である、佐藤浩市さんのスタイリングでした。北村さんは、佐藤さんとは長くお仕事をされているんですよね?
北村 そうですね。皆さんご存知のように、佐藤さんはかつては尖っていたけれど、彼の場合それが嫌な尖り方じゃなかった。そして今、お父さんである三國連太郎さんにずいぶん似てきて、とても魅力的な俳優になりましたよね。昔は「親父のほうが数段いいよね」って、本人にも伝えてたけど(笑)。大人になったんじゃないかな。
――今回の『PAPAS BOOK』は三國連太郎さんの生誕100周年記念号ですが、生前の三國さんとはご面識はあったんですか?
北村 一回だけお仕事をさせていただきました。そのときぼくは、スタジオで食事をしている三國さんに、つい畏れ多くも「三國さん、嫌いなものってなんですか?」なんて聞いたんだよね。そしたら三國さん、うーんって考え込んじゃった。こっちは「いけねえ」ってドキッとしたよ。
――緊張しますね。
北村 たぶんぼくがスタイリストだったから、装いにまつわるもののことだと解釈されたのか、三國さんは「白い足袋」って仰ったんですよ。
――白い足袋? それはどういうことでしょうか?
北村 「ぼくが赤紙をもらって出征するときに、一緒に住んでいた女性がいた。送り出してくれる彼女の顔はとても見られなかったけど、唯一その白い足袋だけが目に焼き付いている」って三國さんは言ったんだ。そしてそれ以来、白い足袋を見るのが苦手になったとも・・・。すごい答えが返ってきちゃったなって、参ったよ。その後何かの機会で、佐藤浩市さんにそのことを伝えたら、「格好よすぎるね」なんて言ってた(笑)。決して忘れられない思い出です。
――すごい逸話ですね・・・。やっぱり佐藤浩市さんは、三國さんのことを意識されているところがあったのでしょうか?
北村 それはあるでしょう。たとえ口に出して言わなくても、親父は大きな存在だと思っているだろうし。
『PAPAS BOOK』のスタイリングは
こうして生まれた!
PAPAS COMPANY TEL 03-5469-7860
――今回のテーマは、三國さんが愛したパパスの服を、佐藤浩市さんにコーディネートして頂くという難題だったわけですが、スタイリングする上では、三國さんのイメージは取り入れましたか?
北村 いや、それは全く反映させなかった。基本的にはパパスの洋服を主軸にしつつ、今の佐藤さんのイメージと重ね合わせました。今はなき創業者や、この『PAPAS BOOK』をデザイン・ディレクションされている塚野丞次さんだったら何て言ってくれるかな?なんて楽しみ方をしつつね。
――今までの佐藤さんのイメージともまた違うスタイリングが、とても新鮮でした!
北村 実は、これは完全なぼくのワガママなんだけど・・・〝悪人〟にしたかったんです。彼の白くなった髪に、白い服を合わせたりして。フォトグラファーの立木義浩先生は気に入ってくれたんじゃないかな。
――なんと・・・〝悪人〟ですか!
北村 こういう撮影って、自分で最初にテーマをつくらなくちゃいけないんです。そこで今回は〝着崩す〟ことをテーマにしつつ、それぞれの洋服の魅力を引き出すことを心がけました。もちろんそのままでもいいけれど、せっかくぼくがやるんだったら、ちょっとここでひとひねり入れて、斬新に見せたいなと。でも、いくら着崩すと言っても、基本がしっかりしていないとサマにはならないでしょう? そういう点ではパパスはしっかりつくられているから、不安にはならなかったな。
――北村さんといえば見事なレイヤードのセンスでも知られていますが、今回も堪能させていただきました。
北村 重ね着っていうのも着崩しにおける手法のひとつだけれど、どう組み合わせるか、それも大きなテーマです。イギリス風、アメリカ風、それともフレンチっぽくいくのか・・・そこは悩ましいところだよね(笑)。
――いや、モノクロ写真なのに鮮やかというか、色や質感を想像させる、豊かなコーディネートでしたよ。
北村 色のトーンを重視した着こなしだったら、モノクロだって絵になるんだよね。だからぼくはカラーで撮ることを大前提にしてスタイリングした上で、現場ではモノクロで撮るということを頭に叩き込みます。〝着る嬉しさ〟と〝着こなす楽しさ〟を忘れていなければ、そのスタイリングはほぼ正解。それさえあれば、トラッドだろうが、イタリアンコンテンポラリーだろうが、鉱山労働者みたいに荒々しくいこうが自由。とにかくダメなのは、ブレちゃうことなんだよ。
――スタイリングにおける〝ブレ〟というのは、どういう意味なんでしょうか?
北村 ブレるっていうのは、迎合すること。手を抜くこと。スタイリングって、とことん突き詰めなくちゃいけないときがあるんですよ。ドット柄のスカーフの模様が気にくわなけりゃ、どこまでだって探さなくちゃ。コム・デ・ギャルソンの川久保さんのネイビーを見てみてよ。同じ紺でも、モノによってぜんぶ色味や階調が違うから。川久保さんのネイビーのジャケットに、ヨウジさんのネイビーのパンツだったら似合うんじゃないか?なんて思ったりするけど、全然合わない。それはモノクロで撮っちゃえばわからなくなるだろうけど、その違和感を納得しちゃうか、俺はイヤだってなるかは、微妙だけど大切な問題だよね。
――う~ん、深いなあ。ちょっと細かい話になるんですが、2000年代以降、ピタピタの服が世の中で流行った時代は、北村さんとしてもやっぱりスタイリングはしにくかったですか?
北村 多分そういう服は使わなかったと思う。
――やっぱりレイヤードとか、重ね着する余地のある服がお好きということでしょうか?
北村 いや、レイヤード云々じゃなくて、細身には限度があるから。だってはっきり言わせてもらうと、男が太ももピチピチのパンツをはいてるのって、美しく思えないんだよ(笑)。かつてヨーロピアンジーンズが上陸した頃、サスーンジーンズやピカデリーみたいなすごい細身のシルエットが流行ったけど、やっぱりこれが可愛く見えるのって女性だけだよ。だから結局すぐに廃れて、最終的にはリーバイスやリーに戻ったじゃない。ジョルジオ・アルマーニはぼくが認める唯一のイタリア人デザイナーだけど、彼がつくる細身には節度があるよね。醜いところまでは絶対に踏み込まないから。
――そういう意味だと、自画自賛しちゃうようですが(笑)、パパスがずっとこのゆとりのあるシルエットを貫いているのは、なかなかすごいことだと思うんですよね。
北村 パパスを創業した荒牧太郎さんは、若いときから格好いい人を見極める才能を持っていた方でした。海に行こうが街に行こうが、コンサート会場に行こうが、それができた。そして頭の中にそういった膨大なデータを詰め込んでいたんだけれど、彼はそのスタイリングをまんま再現するわけじゃない。一旦分解して、その年齢に合った自分なりのアレンジを施すわけです。だからこそ、あの人は歳を取らなかったんだよね。そんな彼がつくったからこそ、パパスは歳をとったやつでも、若いやつでも着こなせるブランドに育ったんだと思う。これが太郎さんの持っているスピリッツというか、愛情なんだろうね。彼は服をつくることも、着ることも大好きだったんだよ。
PROFILE
北村勝彦
1945年大分県生まれ横浜育ち。少年時代を米軍基地で過ごす。ブティックで働いているところを編集者の石川次郎氏にスカウトされ、スタイリストやファッションディレクターの世界へ。マガジンハウス(旧・平凡出版)専属で『POPEYE』(1976年)、『BRUTUS』(1980年)、『Olive』(1982年)、『Tarzan』(1986年)の創刊に携わったのちに独立。俳優のスタイリングから広告、エディトリアルに至るまで幅広い分野で活躍する。『POPEYE』で1977年に提唱した新しいスタイリングの流儀「ワイルド・シック」など、数多の〝伝説のスタイリング〟を生み出す。