Vol. 13
嫉妬するほど憧れた!
エッセイスト
松浦弥太郎の
「ぼくとパパスの禅問答」
着ること。食べること。そして生きること・・・。様々な表現を通して、私たちが目指すべき豊かな暮らしのありようを教えてくれる、松浦弥太郎さん。そんな彼が、なんとパパスに強く影響されているという風のうわさを耳にして、いてもたってもたまらずインタビューを依頼しました! さて、ことの真偽はいかに!?
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淡い恋心が導いたパパスとの出会い
――松浦さん、今日はありがとうございます! 今まで発表されたエッセイやインタビューでは、パパスにまつわるお話は読んだことがなかったので、意外といえば意外なのですが。
松浦 確かに、ぼくは今までパパスのことをどこかであれこれ話したことがないので、みんな気が付いていないんでしょうね。カフェブームの少し前くらいに、雑誌で一番好きなカフェを聞かれて、パパスカフェって答えたくらいかな。
――その節はありがとうございます(笑)! そもそものパパスとの出会いはいつだったんですか?
松浦 どこから遡ればいいのかな(笑)。ぼくはもともと中野出身で、小学生の頃から自転車でどこにでも行っちゃう少年だったんですよ。原宿なんてまさに簡単に行ける距離で、代々木公園や代々木競技場のプール、そして4階でアメリカの珍しいおもちゃや鉄道模型を売っていたキディランドに行くのが楽しみでした。そうすると当然原宿セントラルアパートを通ることになるのですが、そこには有名なレオンという喫茶店があって、バイカーファッションに身を包んだお洒落な大人たちが店から出てきたりする。そんなふうに昔の原宿って、日常では出会えないようなかっこいい大人を見ることができたり、外国の雰囲気を味わえた、特別な場所だったんですよね。外国人もとても多かったですし、どこか旅行に行くような感覚でした。
――原宿のセントラルアパートは、パパスのルーツであるマドモアゼルノンノン創業の地です! しかし松浦さん、とても早熟な少年だったんですね。
松浦 その後ぼくは高校を辞めてアメリカに行くのですが、3ヶ月後には帰ってこなくちゃいけないわけですよね。そこで学校に行っていないコンプレックスの裏返しなのか、アメリカにかぶれた自分を自慢したかったのか、日本に帰ってきて、友だちと原宿を遊び歩くようになるんです。昼間は街をぶらついて、夜になると「OH!GOD」というバーへ遊びに行く。「OH!GOD」は有名な原宿のライブハウス「クロコダイル」のオーナーが経営していた地下のお店で、ピンボールやビリヤード台があって、大きな壁をスクリーンにして朝まで名作映画を上映するような場所でした。それこそお洒落な大人たちがたむろしていたので、10代のぼくらは彼らに怒られないように、端っこのほうで遊ぶんですが(笑)。
――1980〜90年代頃の原宿は、今では想像もつかないほど大人の街だったんだなあ・・・。
松浦 そういう原宿の遊び仲間のひとりにマドモアゼルノンノンで働いている女の子がいて、ぼくはその子のことを好きになったんです。ぼくからアプローチできる感じでもないんだけど、自分の存在を認めてほしくて、お店の前に行ってはガードレールの前に座ったりして(笑)。そんなふうにノンノンの前をウロウロしていたら、そこに背の低い日焼けしたおじさんがいたんです。後からその人がデザイナーの荒牧太郎さんだと教わったんですが、怖くて声もかけられなかったですね。ジロッと見られたら、下向いちゃう感じ(笑)。でも遠目に眺めているだけでもとにかくかっこよかった。ぼくは当時からアメリカでかっこいい大人たちをたくさん見ていましたが、荒牧さんには彼らと同じような種類の素敵さを感じました。生き方そのものがファッションになっているような。そうこうしているうちに表参道の同潤会アパートにパパスができたので(1986年)、恐る恐る間違えたふりして入っては、Tシャツを買ったりしました。そこもまた、すっごく入りにくいお店でしたね(笑)。
――松浦さんにとってマドモアゼルノンノンの存在は、甘酸っぱい青春の1ページだったんですね!
「じゃあお前はどうするの?」PAPAS BOOKは問いかける
松浦 パパスやノンノンは、二十歳すぎのぼくにとってはライフスタイルのお手本でした。憧れの存在でしたよ。当時、雑誌も売っていましたよね?
――『PAPAS BOOK』のことですね! 一時期は書店でも販売していました。
松浦 ぼくはそれを買っていたんです。レイアウトも判型も内容も、ほかの雑誌とは全く違う。ある意味では、当時の『BRUTUS』よりも憧れの存在でした。自分にとっては、大人になって好きなものを見つけたり、身に着けたりする上での教科書的存在というか。でも、『PAPAS BOOK』がものを売ろうとするコマーシャルな雑誌と全く違うのは、「パパスはこうだよ」とは言うけれど、「この通りにやれよ」とは絶対言わない。「じゃあお前はどうするの?」ということをいつも問いかけてくるんですよ。まるで禅問答みたいに(笑)。
――禅問答(笑)。でも、確かに『PAPAS BOOK』にはそういう要素はあるかもしれません。カタログやガイドブック的要素がないどころか、写真はほとんどモノクロだし、ある意味抽象的というか。
松浦 断片的なリアルストーリーをスクラップしたような内容だから、その文脈は1回読むだけじゃわからないですよね。だけど、何回か読むうちにわかってくるんです。「この週末を、お前はどうやって生きるの?」みたいなことを聞いているんだって。そういう雑誌ってほかにないから、ずっとリスペクトしているし、ベンチマークのような存在です。ある意味ではそうした問いかけに対しての答えが、自分の今の生き方だったり、仕事のやり方だったり、モノとの付き合い方だったりもしますから。ぼくが20代の頃に影響を受けたのは、アーネスト・ヘミングウェイとジャック・ケルアック、そしてヘンリー・ミラーなんですが、そういう巨人たちと同じラインに、いつもパパスがいるんですよ。
パパスってボーイズライフでしょ?
――パパスが松浦さんに影響を与えていたなんて、この上なく光栄です。
松浦 でも、これはすごく矛盾しているんですけど、憧れるし大好きなんだけど、だからこそパパスの服を買うのはちょっと悔しいんです。勝手にライバル視してるだけですが、服従はしたくないというか、負けたくない(笑)。ぼくのアンサーはこれだよ、って言いたくなっちゃう。だけどやっぱり、見ているとほしくなるんですよね。今日着ているポロシャツなんて、多分20代はじめの頃に買ったんじゃないかな。
――このポロシャツは現在でもほぼ同じデザインで展開している定番ですね。
松浦 身幅はあるのに着丈が短いところが、パパス流で自分としては嬉しいんです。だから、悔しいけどこれはいいだろうって(笑)。
――当時パパスがつくる洋服については、どのように感じていましたか?
松浦 昔のぼくはアメカジ一辺倒でしたが、パパスからはパリというかフランスの匂いはすごく感じましたね。それで自分が着ている服とパパスの服は何が違うんだろう、と考えたときに思い出したのが、高校時代に国語の先生にもらって読んだ、ヘミングウェイの『移動祝祭日』でした。ヘミングウェイの洒脱さや品って、ここで描かれているパリ時代に身に着けたものだと思うのですが、まさにこの1冊のイメージがパパスと直結したんです。
――『移動祝祭日』については、2022年に復刊した『PAPAS BOOK』でも触れていますが、仰る通りヘミングウェイとフランスは、パパスにとって重要なバックボーンです。
松浦 今日持ってきたギンガムチェックのシャツも、そういうパパスらしさですよね。大人の男がこういう柄を着るのもかっこいいなと思って、1990年代に買ったものです。今気付きましたが、パパスカフェで使っているクロスと同じ柄ですね(笑)!
――すごい! まさに同じ色だ。
松浦 あとぼくがパパスに敵わないなと思ったのは、デザイナーの荒牧太郎さんがトライアスロンを始めたことです。これはまさに、日本におけるトライアスロンの最初期だったんですよ。自分なりにパパスに近づけたかな?と思った頃に、これでまた一気に差を付けられて、またしても手が届かない存在になっちゃった。そのときに「負けた!」と思って買ったのが、このスウェットです。今では宝物ですね。かっこいいでしょ?
――これは宮古島でのトライアスロンレースに協賛していた頃のものですね。本社でアーカイブしておきたいくらい貴重です!
松浦 そういうフィジカルな部分からも強く影響を受けています。今、ぼくが一生懸命走っているのも、そのあらわれかもしれません。
――こういった話を伺うと、今までパパスと松浦さんに接点がなかったことが、不思議にさえ思えてきます!
松浦 それはきっと、ぼくがパパスに対して強く嫉妬していたからでしょうね。影響は受けているけど、いつかは追い着き、追い越したい存在というか。だから今まで自分からはパパス好きというサインは出してこなかったけど、ついに気付いてもらえたから、うれしくなって今日ここに来ました(笑)。結局、ぼくがパパスから教えてもらった一番大切なことって、ボーイズライフだと思うんです。少年的な生き方。かっこいい大人って、60代になろうと70代になろうと、どこかにボーイな自分を抱えている。ヘミングウェイだってピカソだって、生涯ボーイズライフじゃないですか。パパスがやろうとしていることってボーイズライフですよね?って、荒牧さんには一度聞いてみたかったですね。
――今日はたくさんのシビれるお話をありがとうございました! これからも誰かに影響を与えられるパパスでありたいと、心から思います。
松浦 パパスには、当時のぼくみたいな若い男の子と禅問答できるような存在でいてほしいですよね。「さあ、お前はどうするの?」って問いかけたり、ときには思いっきりキックを入れるような・・・。これからもそういうブランドであってもらいたいです!
松浦弥太郎
1965年東京生まれ。高校中退後、渡米を繰り返すなかでアメリカの書店文化に惹かれ、1996年にトラックを改造した書店「エムアンドカンパニーブックセラーズ」を開業。さらに2003年には今も中目黒にある書店「COW BOOKS」を開業する。エッセイストとして多数の著書を発表するほか、『暮しの手帖』の編集長を9年間務めるなど、編集者しての顔ももつ。現在は『DEAN&DELUCA MAGAZINE』の編集長のほか、企業のアドバイザー、オリジナルレシピの開発など、幅広い分野で活躍している。