Vol.30
合言葉は「勇気」!
パパス丸の内店の夜会
松浦弥太郎の
「フライデーパパス」
今年の3月から、パパス丸の内店にあるパパスカフェでは、マンスリートークイベント「フライデーパパス」が開催中! クリエイティブオフィサーの松浦弥太郎が、エディターの山下英介とともに自由に語らう楽しい夜会。本当はその内容は私たちと来場者の皆様だけの秘密なのですが、今回はその一部を再編集してお届けしちゃいます! ぜひ次回はご応募してくださいね。
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1986年の原宿のこと

「フライデーパパス」の会場は、パパス丸の内本店内にある「パパスカフェ」。自慢の淹れたてコーヒーとともに松浦弥太郎の〝ここでしか聞けない〟トークを楽しめます!
松浦 みなさん、こんばんは。今夜は貴重な週末にお越しいただいてありがとうございます。これからは「フライデーパパス」ということで月に一度くらい、みなさんとコーヒーを飲みながら気軽に色んなお話をしたいと思います。
山下 今日はどんなテーマにしましょうか?
松浦 さあ、どうしましょうかね(笑)。最初はある程度打ち合わせでもしようかなんて思っていたんですが、あらかじめ答えを用意しちゃうのもつまらないし、やっぱり考えながら話すのが正直だし、面白いですよね。
山下 じゃあ、私から松浦さんに質問です! パパスが創業した、今からちょうど40年前の1986年・・・松浦さんは何をされていたんですか?
松浦 40年前・・・。ぼくが二十歳になったかならないかくらいかの頃かなあ。その頃はアルバイトをしながら、アメリカに憧れて、行ったり来たりしていたんですが、ちょうどそんな毎日を繰り返していた時代ですね。ものすごくアメリカの影響を受けて、自分のことをアメリカ人だと勝手に思い込んでいました(笑)。

山下 アメリカ人ですか(笑)!
松浦 今日着ているアイゾットラコステのポロシャツもその頃に買ったものなんですが、40年前とほぼ同じ格好しているんですよね(苦笑)。当時のぼくはそんな自分を主張したくて、お金もないのに渋谷や原宿にあったいろんなショップに通っては、お店の方々と仲良くなっていました。一緒に夜遊びもよくしていましたよ。
山下 当時の原宿表参道エリアの光景って、どんな感じでしたか?
松浦 まだ同潤会アパートやセントラルアパート、キディランドも健在でした。現在「V.A.」というカフェになっている場所は、当時は「カフェ・ド・ロペ」で、路地の奥には「OH!GOD」というお店があったんです。そこは「クロコダイル」という有名なライブハウスのオーナーが自ら住みながら営業していたバーだったんですが、夜になると壁に映画を投影して、朝まで営業していたんです。
山下 そこを行きつけにされていたという。
松浦 といってもまだ子供だったぼくは〝ただいる〟みたいな状況でしたが(笑)、このお店に集まってくるすてきな大人たちを、いつも遠くから朝まで眺めていましたね。
山下 1980年代の原宿には格好いい大人たちがたくさんいたようですね。
松浦 そうですね。セントラルアパートの隅っこにあった「マドモアゼルノンノン」という小さなお店が、まさにパパスの前身になったブランドなんですが、そこで働いていたとある女性がとてもすてきで、女の子を追いかけるのに夢中だった当時のぼくは、いつもそのお店の前をうろうろしていました(笑)。ただ、中に入る勇気なんてないんです。だってパパスの創業デザイナーだった荒牧太郎さんが目を光らせていましたから(笑)。
山下 荒牧さんといえば、高田賢三さんやコシノジュンコさんらと文化服装学院で同期だった、伝説のデザイナーですよね。
松浦 そうですね。でも、これはあくまでもぼくの主観ですが、荒牧さんはそういう〝ザ・ファッション業界人〟という雰囲気じゃないんですよ。こんがり日に焼けて、ポロシャツと短パンにビーチサンダル履きで、ぱっと見は「さっきまでテニスやってたよ」みたいな格好なんですが、よく見るとなんだかすごい金の時計をされている。今思えば、ヨーロッパの本当の趣味のいいお金持ちみたいな、素敵なスタイルの方でしたね。
山下 そんな憧れの人が、まさに1986年にパパスを創業したわけですね。
松浦 セントラルアパートの近くにあった同潤会アパートの2階でね。窓ガラスにはヘミングウェイのポスターが貼っていましたが、ここも入るのに相当緊張するお店でした。お店に入ることって、当時のぼくにとってはものすごく勇気のいることだったんですが、それでも思い切ってドアを開けてみたら、そこにはかっこいい大人たちが待っていてくれたりするじゃないですか。勇気を出して行動に移せば、その先には必ず何かがあるということは、ぼくは二十歳の頃に気づけた気がしますね。
山下 洋服だけじゃなくて、当時のお店って、ある種の学校みたいなところがありましたよね。怖いお店も多かったですけど(笑)。
松浦 アメリカなんかだと、入った瞬間にガチャンと鍵がかかって帰れなくなるようなお店も多かったしね(笑)。買わなくて怒られるってことは意外とないんですが、それでもちゃんと挨拶はしなくちゃダメなんだよな、みたいなお客さんとしてのマナーは、ぼくはあの頃のお店に教えてもらったような気がします。だからぼくは街に出たら必ず勇気を振り絞って誰かに話しかけたり、お店に入って何かを見て帰るということを心がけていて、そういう積み重ねが自分を育ててくれたな、と思っているんです。
勇気を出して誰かが喜ぶことを

山下 街が人やコミュニティを育てる、みたいな文化が当時はありましたけど、それにも勇気が必要なんですよね。
松浦 当時のぼくは、1日ひとり新しい人と出会う、という目標を掲げていましたが、それには待ってたらダメなんですよ。そういえば英語が喋れなかった頃は、海外に行ったら毎日同じ交差点に立って、「郵便局はどこですか?」みたいなことを1日ひたすら尋ねていました。だいたいみんな教えてくれるし、言葉を少なからず習得できるし、ときには面白がられて現地の友達ができたりもするじゃないですか。
山下 誰とも話さなくても生きられるようになった今では、考えられないですね!
松浦 笑っちゃうんですけど、ぼく、今でも旅先ではやるんですよ(笑)。朝起きて入ったカフェの前で「マルシェはどこですか?」みたいなことを。ときには無視されることもあるけど、数人にひとりは「ここに行くといいんだよ」とか「ここは美味しくないよ」とか教えてくれたりする。それを繰り返していると、たった1週間の旅でも住民みたいな気持ちになれますから。
山下 その場だけのコミュニケーションじゃなくて、ときには偶然の出会いみたいなものも、生まれてきますよね。
松浦 そうなんです。勇気を振り絞ればいろんなことが起きるし、その中には自分が予測もしなかったような、魔法のような出来事もある。今にして思えばぼくの仕事って、全部そんなことから始まった結果だと思うんですよ。だってぼく、本屋になりたいなんて思ったこと、一度もないんですから(笑)。人が喜んでくれることを勇気を振り絞って繰り返していたら、自分ができることって本の仕事なんだということに気づいて、さらに一生懸命やってみる。それがいつしか路上の本売りからお店を構えるまでにつながった、という感じなんですよね。
山下 じゃあ今、パパスのお仕事をされているのも?
松浦 これも全く想像していませんでした(笑)。『暮しの手帖』の編集長を務めたときもそうでしたが、ぼくは編集者としてキャリアを積んだわけでもないし、いわゆる専門的なスキルがあるかどうかはわからないんですよね。それでも自分を信じて、その日できることや思いつくことを、毎日できる限り一生懸命やってきました。たとえ半分以上はうまくいかなくても、その中にひとつやふたつはうまくいくことが見つかるじゃないですか? そしたらそれをなりふり構わず前に進めたり、掘り下げたりする。1日が終わる1秒前まで、自分ができることを考え続ける・・・。ぼくは二十歳の頃から、そんな日々を繰り返しています。
山下 ただ、そういうコミュニケーションって、つい恥ずかしくなってモジモジしちゃうところもあるんですよね・・・。
松浦 確かにそうかもしれませんね。でも仕事においても人間関係においても、「照れない」ってことがすごく大切なんですよ。どんなに格好悪くても、この人、変だなって思われても(笑)、自分が信じたことは、照れずに勇気を出して表現したほうがいいんです。当然間違いや失敗もありますが、そのときはちゃんと後始末したり謝ればいいじゃないですか。照れずに思いっきり仕事をする、生活する、人と関わるということは、大切なので忘れないでもらいたいな。


地方からわざわざ来られるお客様も多数。終了後は松浦弥太郎が著書やカタログにサインをしてくれるサービスも!
・・・というわけで、今日はここまで。こんな楽しいトークのすべてを聞きたい方は、次回の「フライデーパパス」にご応募ください!
今回は併せてYouTubeも配信していますので、よかったら覗いてみてくださいね。