Vol. 4
スタイリスト
山本ちえが体感した
1970年代原宿と
大好きで大嫌いなお店、
マドモアゼルノンノン
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パパスの原点は、ウィメンズブランドのマドモアゼルノンノンにあります。その1号店が原宿にオープンしたのは、なんと東京オリンピックが開催された1964年! “日本初のブティック”とも言われたその創世期を知る人は、残念ながらもうだいぶ少なくなりました。そこで、今回は1960年代後半のノンノンに足繁く通っていたというスタイリスト、山本ちえさんにインタビュー。私たちも知らない、当時の原宿とノンノンについて教えてもらいました。
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60年代のノンノンは“嫌な店”だった!?
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――マドモアゼルノンノンは来年で創設60周年を迎えるのですが、もはやブランドの中にも、当時のことを知る人がほとんどいないんです。今日はぜひ、昔のノンノンのことを教えてください!
山本ちえ 60周年ってすごいよね。私が知ってることなんて、ノンノンの歴史のほんの一部ですが、それでよければ。
――初めてノンノンと出会ったのは、どんなきっかけだったんですか?
山本 たぶん17か18歳だったと思う。当時の原宿ってお正月くらいしか混まない街だったんだけど、私はコープオリンピアの地下のマーケットや、外国人向けのお土産屋さんが好きで、よく出かけてたの。国立代々木競技場の体育館にはオリンピックプールがあって、そのサブプールでよく泳いでいたな。そこから明治通りに出てずっと原宿に向かって歩いていくと、原宿セントラルアパートの一角に喫茶店のレオンとマドモアゼルノンノンがあった。入ってみたかったけど、入れなかったよ、あんな怖い店。
――敷居が高かったということですか?
山本 うん。嫌な店だったね(笑)。
――どんなお店だったんですか?
山本 うなぎの寝床のような小さなお店だった。小さな棚に何着かずつ洋服が収められていて、ルイ・ヴィトンのなめし革のバッグやファブリスのリング、フランソワ・ヴィヨンの靴のような、1点もののフランス製品が少しだけ置かれていた。でも、手に取るどころか「見せてください」の一言も言えない雰囲気なの。
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明治通りと表参道の交差点、現在は「東急プラザ表参道原宿」が営業しているエリアには、かつて原宿セントラルアパートという集合住宅が存在し、多くのクリエイターが事務所を構えていました。その一角で1964年にオープンしたのがマドモアゼルノンノン。
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こちらは1972年、ファッションタウンと呼ばれるようになった原宿の様子を捉えた週刊誌の記事。右上がマドモアゼルノンノンですが、創業からたった8年にしてすでに〝老舗〟と書かれています。それほどまでに原宿の進化は早かったのでしょう。
――店主が怖かったとか?
山本 あの方は華奢な人が好きで、こんなの誰が着られるの?みたいなちっちゃな服しかないの。そもそもサイズ表記があったかわからないけど、今でいうとXSかSしかないくらい。おっきい人は「お前は出ていけ」とか入り口で追い返されたりして(笑)。でも、それでも行きたいのよ! 私は店番をしていた女の子の店員さんと仲良くなって、通ってたけど。
――当時のお客さんはモデルやファッション業界人が多かったようなので、そういう人たちに向けてつくっていたらしいですね。そんな接客は今のブティックでは全く考えられませんが(笑)、近年でいうと裏原宿ブランドの全盛期のように、お洒落な仲間たちが内輪で盛り上がってるような感じだったんでしょうか?
山本 そうそう。入ると「何?」みたいな。だから創刊したばかり(1970年創刊)のanan編集部に出入りしたりお手伝いするようになって、なんとか入れるようになった。当時の編集部の人たちは、競い合うようにしていいものを買っていた。贅沢な時代だったね。
細すぎるくらいのタイトフィットが
ノンノンの流儀
――当時はどんな商品を扱っていたんですか?
山本 当時は紺と白、赤と白のボーダーTシャツとか、肩に貝ボタンが3つついたメリヤス編みのニットとか、決まったものしかなかったかな。そんなセーターが何万円もしたんだよ! なんでも高いし、しかもちっちゃかった。
――それをピタピタで着る感じなんですか?
山本 いや、ピタピタはダメ。ただでさえ細い服なのに、それを体が泳ぐくらいゆとりをもって着こなせないとダメなのよ(笑)。しかもブラジャーなんてしない。それでもいやらしくない体型じゃないと。そういえばコーデュロイとベルベットを使ったヒップハングのパンツも可愛かった。パンタロンでもスリムでもないストレートシルエットで、はくとお尻の割れ目が見えそうなの。高いからうちのお母さんにコピーしてつくってもらったんだけど、さすがに細すぎるから気を利かせて、ちょっとアレンジしちゃうんだよね。だからこんなのじゃない!って怒ってたもん(笑)。
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1970 年代初頭、『anan』のファッションシューティング。ボーダーシャツにコンビネゾン(オールインワン)というコーディネートは、創業時のノンノンが得意としていたもの。山本さんによると「小さくて脱ぐのが大変だった」とのこと。
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マドモアゼルノンノンが所有する、1970年代のアーカイブ。確かに驚くほど細く、コンパクトなシルエット!
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――それほどまでにステイタスの高いブランドだったんですね!
山本 本当に高かったよ。私は大学の卒業式のときはノンノンでスーツをつくったんだけど、それが8万円くらいはした。48年前だよ? うちの親は「何なのここの服?」って驚いていたもん。
――当時の大卒初任給が9万7500円らしいので、相当な金額ですね! ちなみに〝つくった〟ということは、オーダーもできたんですか?
山本 そうだね。既製品をベースにして。生地はどうする?とか聞かれるんだけど、素人の私にそんなこと言われたって困るよね(笑)。薄いグレーで、生地はフラノなのかな・・・みたいな。当時はTシャツだってニットだってオーダーできたのよ。でも本当に高かった。
――えー、たった今当時のノンノンを知る情報筋から情報が入ってきました(笑)。当時は採寸から生地選びまで完全にフルオーダー仕様でつくっていたから、どうしても価格は高くなってしまったんですよ!とのことです(笑)。
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マドモアゼルノンノンが創業時からつくっている、ボーダーのTシャツ。ヴィンテージ加工を施した天竺素材は、袖を通した瞬間から、長年着込んだようなしっくり感を味わえるはずです。昔と違ってサイズとカラーは豊富に揃えていますので、ご安心ください。
- TELTシャツ ¥13,200
PAPAS COMPANY TEL 03-5469-7860
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こちらは定番のロゴTシャツ。右袖にはエッフェル塔、左袖にはハトがプリントされた、フランス気分満点の一枚です。
- BUYTシャツ ¥9,680
PAPAS COMPANY TEL 03-5469-7860
日本に“ブティック”がなかった時代、
ノンノンは唯一無二の存在だった
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――それほど高級になると、良家のお嬢様が買うような感覚だったんでしょうか?
山本 良家のお嬢さんが、お尻が見えちゃうようなパンツははかないでしょ(笑)。だってTシャツとメリヤス編みのニットだよ? だからお金持ちとかハイブランドみたいな存在とは違うけど、かといって不良でもない。
――このブランドを通して、やっぱりフランスを見ていたということなんでしょうか?
山本 そうなんだろうね。ボーダーのTシャツなんて、パリにはあったろうけど、当時の日本には存在しなかったし。もちろんアニエス.bもまだ日本にはなかった。そもそもこの時代のブランドって、芦田淳さんとか森英恵さんみたいな、きちんとした感じだったじゃないですか。洋服はデパートで買うのが当たり前だったし。そんな時代に登場したのが、ノンノン。親の世代からは理解されなかったけど、唯一無二だったとは思うね。
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ノンノンが創業した頃の、価格表にあしらわれていたイラストをコラージュしたリネンシャツ。シルエットこそ昔とは違うけれど、あの頃の楽しさとノスタルジーが詰まった一着です。フランス製のリネン糸で織った生地を、2回も洗い加工を施すことによって表現した、素晴らしい風合いにも注目を。
PAPAS COMPANY TEL 03-5469-7860
――まだブティックという存在そのものが珍しかった時代ですよね。
山本 何にもなかった。ちょっとたってからマコビスっていう真っ赤な日除けがついたお店ができたけど、原宿にはまだMILKもなかったし。ノンノンでは本当にお金を使ったよ(笑)。
――実際に経験した人じゃないと、その時代の空気感はわからないんでしょうね。
山本 そういえばちょっと前に青山のセレクトショップでコーデュロイのヒップハングのパンツを買ったときに「これノンノンのコピーしてない?」って聞いたら、店員さんはぜんぜんわかってなかった(笑)。数十年ぶりにノンノンの服を見たけど、今はこんなちいさい服をつくってないし、そりゃそうだよね。だから私の言ってるようなことをわかる人って、70歳すぎだよ。それもanan編集部に出入りしていたようなファッション業界人や、お店の近くに家があった人くらいなんだろうね。
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ファッション業界人がこぞって「日本で一番格好いいスタイリストはこの人だよ」と絶賛する山本さん。そのセンスのルーツに、マドモアゼルノンノンが存在したことを誇りに思います! ちなみにこの日していたベルトは、ノンノンと同じ原宿で1972年に開店した、ゴローズのもの!
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――60年代~70年代前半におけるマドモアゼルノンノンという存在は、限られた人たちの中でだけ通用するキーワードだったわけですね。
山本 私たちの仲間はみんなわかるよ。創刊した頃のananなんて、もう贅沢ざんまいの本だったじゃない。雑誌のファッションページのためだけに服をつくって、それを持って海外まで行って見開き1カット・・・みたいなことをやってたんだから。だからマドモアゼルノンノンだって市場調査なんてやらずに、わがまま放題で自分たちが着たいものだけをつくっていたんだろうね。格好よかったな、なんか。
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PROFILE
山本ちえ
1952年生まれ。大学卒業後、雑誌『anan』デビュー。同誌や『クロワッサン』、資生堂の『花椿』といった紙媒体はもちろん、広告の世界でも活躍を続ける、日本を代表するスタイリスト。現在、『素敵なあの人』(宝島社)にて、セルフスタイリングの連載中。